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「人はいつか逝くことを知っている」それが私の原動力

プロフィール:大学卒業後、(株)ニチイ学館にて介護事業の運営企画や新規事業の立ち上げ、企業合併などに携わる。2011年からジャカルタ在住。駐妻のキャリア支援をテーマにした活動を立ち上げ、インドネシア企業とのプロボノ活動や日本とインドネシアの友好活動を行う。2021年3月 本帰国。現在は、駐在期間中の経験を生かし日本で働きたい外国人の支援事業やインドネシアへの進出企業支援などを行う。

「人はいつか逝くことを知っている」それが私の原動力

介護業界最大手会社で10年以上キャリアを積み、その後ジャカルタへの海外転勤に帯同。現在、フリーランスとして外国人材のマネジメントや、介護相談の分野でお仕事をされている荻野真由美さんにお話を伺いました。

介護業界第1線でバリバリ働く

―学生の頃のお話を聞いてもよろしいですか?

大学1年生の時に老人ホームでアルバイトを始めました。そのアルバイトで大変素晴らしい経験をしました。具体的には人に心から感謝され自己肯定感が高まりました。また、終末期の介護も経験し、死生観を学ぶこともできました。4年間、働くうちに介護や福祉に関する課題感や考えも出てきて、そのままその老人ホームに就職することも考えましたが、「今の介護現場の課題を解決するには世の中の仕組みを理解しなければならない」と思い、業界最大手のニチイ学館に就職しました。

―どのようなお仕事をされていたのでしょうか?

私は最初「介護現場でのアルバイトも4年間やっていたし、自分は何でも分かっている」という感じで入社しました。しかし仕事とアルバイトでは雲泥の差で、思い通りにいかず苦労の連続でした。そんな時、上司から「『右手に算盤(そろばん)、左手にロマン』という言葉を教わり、事業運営に携わるには、経営手法や数字を知らなければいけないと気が付きました。そこから1年以上1500カ所の介護施設の財務諸表を分析する仕事を行いました。その後、収支改善や新規事業、M&Aなどに携わり、約10年間、第1線でバリバリ働きました。

―その時ライフプランはありましたか?

全く考えていなかったです。先のことを見据えてはいたつもりですが、考える余裕もなく目の前のことをこなすだけでした。しかし、これが後々に大きな痛手になりました。

―その後のキャリアはどのようなものでしたか?

夫が名古屋に転勤になったため、私も名古屋の支社配属にしてもらいました。その時は本社から「都落ち」をした気分になり、とてもつらかったです。しかしそんな中で自分にとって働くこととはなんだろう?と真剣に深く深く考えました。その答えが少しだけ見えてきてまだ名古屋で頑張ろうと思った矢先に、またもや夫の転勤で東京に戻ることになりました。東京では人事部に配属になり新卒や中途の採用業務を行いました。それがとても面白く、キャリアコンサルタントの仕事を考えるようになりました。しかし、今度は夫がジャカルタへ海外転勤になり、退職し、帯同することを決めました。

人はいつか逝くことを知っているから全力で生きる

―怒涛の数年間ですね…。滞在中のキャリアについてはどうでしたか?

2008年ごろから日本とインドネシアの間で、EPA(経済連携協定)による看護師・介護福祉士候補生の来日事業が始まりました。私はその事業に興味があったため、ジャカルタに行くことは、将来的なキャリアにつながるのではないかと考えました。ちょうどニチイ学館の上司から、「インドネシアで日本の介護施設を建てたい人がいる」と紹介され、ジャカルタに行った翌週から、ジャカルタ郊外のインドネシアの医療法人で、日本式介護事業の日本人アドバイザーとして、仕事を始めました。しかし就労ビザなどの関係で、半年で辞めなければなりませんでした。

―その後はどのように過ごしていましたか?

そこから3年間は仕事もせず悶々とする時期を過ごしました。一方、子どもが欲しいとも思っていましたが、ジャカルタに来る前に、日本の病院で自然妊娠は難しいと言われていました。仕事ばかりして、身体を酷使して働いていたからだと思います。今思えば、キャリアとの両輪で考えるべきだったのに、なぜキャリアを追求することばかり、とその時は非常に自分を責めました。しかし、その後、奇跡的に第一子を自然妊娠しました。そのため「こんなにいいことがあったということは何か良い行いをしないと悪いことがおきるんじゃないか」と思い、そこからインドネシアでボランティア活動に励むようになります。インドネシアの経済的に困難な子供達への支援活動、奨学金事業の立ち上げ、介護技能実習生への日本語講師、ジャカルタで妊娠出産する日本人の支援、また、JKT Nyaman PJTという音楽グループを作り、コンサート活動を展開し、収益を全額寄付するという事業を行いました。

―その原動力はどこから来るのでしょうか?

私は、大学の時代の老人ホームでアルバイトでの「看取りの介護」経験を通じ、「いつか人間は逝く」ということを目の当たりにしました。たくさんの看取りの現場に立ち会い、私はどのように生きたいか、どのような最期を迎えたいかということに向き合いました。そして、「人間は必ずいつか逝く。だから今を全力で笑顔で生きて生きていく。私は、私の周りの人が幸せで笑顔であってほしい。それが私の幸せだ」そう思うようになりました。そして、これが、私の原動力です。

今の時間をどう活かすのか

―最後にメッセージをいただいてもいいですか?

駐在帯同期間中の経験がその後に活きるというのは、よく言われていることですし、私もそう思います。しかし、「駐在経験をどう活かしたいのか」ということを、駐在帯同中に考えておかないと、その後のキャリアには、繋がりにくいとも思います。

漠然と、なんとなくでも「自分の進む方向性」があれば、海外で過ごす1日1日が、帰国後のキャリア再開の時の大きな力になりますし、想いや現実とのギャップを埋めることにも繋がります。漠然とでもいいので、ある程度のビジョンを見据えたうえで、駐在時間をどう過ごすかということを考えた方がいいなと思います。

学生ライター感想:

記事にまとめられないくらい様々な活動に全力で取り組んでおられ、その姿に刺激されました。自分にできること、目の前のことにきちんと向き合っていきたいと思います。

取材・文:村山彩

 筑波大学大学院システム情報工学研究科修士2年 

校正:三浦梓

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