INTERVIEW

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プロフィール:1978年生まれ。大学院卒業後、国際協力の枠組において紛争影響地域の安定化にかかる活動に取り組む。結婚を機に、外国人夫との生活を成立させるべくフリーランスに転向。各国赴任を経て、2020年より仕事を休み、エルサレムにて初駐妻。MBAスクール生、NGOダイヤモンド・フォー・ピース理事、アフリカと日本を繋ぐ会社を設立。

Worrying does not take away tomorrow’s troubles. It takes away today’s peace.

国際協力機構(JICA)の事業に農業農村開発/平和構築専門家として派遣。インド・スリランカ・ボスニア・フィリピンなどで活動された経験を持つ山岸真希さんにお話を伺いました。

物事の本質を見極める仕事をするために

―海外に帯同する前のキャリアやライフプランについて教えていただけますか?

大学で農学部に入学しました。農学部を選んだ理由は、物事の本質に関わりながらも人に近い分野の学問を学びたかったからです。大学及び大学院では、土石流の流れ方に関する研究をしました。その頃、初めて行った海外旅行先のニューヨークで、世の中はこんなに自由なんだ!と感銘を受けたのを覚えています。

就職活動時に、海外へ駐在可能な仕事を探しましたが見つからず、学生の交換インターンを推進しているNPO法人アイセックを通じてインドのNGOへ行くことに。インドでは、灌漑用水が届いていない貧困地域で住民自らが水路を掘る計画を立てる支援をしました。同時に、現地で日系の開発コンサル会社でもインターンとして働く機会を得ました。

ーその後、日本で就職されていますが、きっかけはありますか?

最初開発コンサル会社に就職しようとしましたが、海外駐在は10年待って欲しいと言われたことをきっかけに、早々に方針転換し、JICAでアルバイトを始めました。その時、インドで雇用してくださった知人に偶然再会し、翌月からスリランカにJICA事業のコーディネーターとして派遣されることに。4年駐在しました。

ースリランカではどのような仕事をされていたのですか?

「農業農村復興開発計画」というプロジェクトで、紛争後の影響が残る地域の復興開発を行いました。具体的には所属企業とJICAのコーディネートやプロジェクトと政府の橋渡し、そして現地スタッフの採用など総務全般を担当しました。自分のキャリアを考え、畜産分野と女性のエンパワーメントに関する事業に自ら手を挙げ、参画しました。スリランカ滞在中に、婚約者のコロンビア駐在が決まり、事業満了後、帯同することにしました。

※山岸さんの配偶者は、赤十字国際委員会(ICRC)職員。

農業農村開発/平和構築専門家としての仕事とMBAでの新しい分野での学び

―次に、海外帯同中の出来事について教えていただけますか?

コロンビアに帯同した際は、勉学に注力されていますが、理由はありますか?

当時所属していた会社の上司に「年間半分だけ働き残りは自由にさせてください」と冗談半分、内心本気で言ってみるも、あり得ないといった感触だったので、契約満了に伴い退職しました。コロンビアでは、帯同期間が半年間と短かく勉強に勤しむことに決めました。スペイン語の語学学校に行き、英国の大学の開発学のオンライン授業を受けました。その後、配偶者がアフガニスタン駐在となり、家族は帯同できないため、私はJICAの農業農村開発家としてボスニアに駐在することにしました。自分もキャリアを諦めたくなかったので、遠距離はあまりつらくなかったです。

ーボスニアでの仕事について教えてください。

ボスニアでは3年間、農業農村開発専門家として、紛争で殺しあってしまった2つの民族がもう一度一緒に住める環境を創出するプロジェクトに参加しました。プロジェクトはその目的を達成したという意味では成功でしたが、先進国が失ってしまった地域社会の繋がりや温かさに触れ、「私たちが教えられることよりも、私たちが学ばなければいけないことのほうが多いのではないか?」「自分や自分の国の価値観で正しいと思う開発の方向性は、必ずしも正しくないのではないか?」と、いろいろなことを考えるきっかけになりました。

ー東京とフィリピンでのお仕事について教えてください。

夫はアフガニスタンの後、エチオピアに駐在となりました。その頃、私はJICA本部の平和構築復興支援室で機構の支援方針や事業形成業務に携わりました。とても忙しかったですがやりがいも大きかったです。その後フィリピンでの仕事を選択した際、配偶者も同じ街に駐在することが決まり、初めて夫と同じ家に住み、2人とも働くことができました。

ー平和構築とは具体的に何をやるのでしょうか?

私は「貧困は紛争の要因のひとつ」と捉えており、地域経済が活性化することで、地域に雇用が生まれ、地域の安定に寄与すると考えています。また、私が主に携わる一次産業の生産者の生計安定は、生産者の活動を改善するだけでは生まれず、サプライチェーン全体の見直しが必要です。例えば、これまでには、コーヒー、海藻、ココナッツ産業等のサプライチェーン上の富の配分を公平化することにより、貧困層により多くの収益が落ちるような仕組み作りをしてきました。

ー現在のイスラエル帯同について教えてください。

現在は配偶者のイスラエル駐在に帯同しています。オンラインMBAを受講しつつ、プロボノや各種勉強会に参加しています。MBAでは民間企業側の視点も学びたいと考えています。

経済的なアプローチで貧困層を支援

―今後のキャリアやライフプランについて教えていただけますか?

1次産業のサプライチェーンの透明化に取り組みたいと思っています。行政側か民間企業側か分からないけれど、民間企業と協力して、貧困層に富が公平に配分されるような仕組みづくりをしたいです。居住地にこだわりはありません。人生の半分を海外で暮らして、どの国でも生きていけるようになったから。

学生ライター感想:

様々な国で活躍されていらっしゃるパワフルな姿に多くのエネルギーを頂きました。「止まったら沈んでしまう」という言葉や、座右の銘である 「“Worrying does not take away tomorrow’s troubles. It takes away today’s peace.” ― Randy Armstrong」に山岸さんのストイックさが現れていると思います。貧困など大きな分野は一つの分野や観点だけでは解決できないからこそ、様々な観点を学び、総合的にアプローチできるように行動されていると感じました。

取材・文:橋口琴音

 津田塾大学学芸学部国際関係学科/学士3年

校正:三浦梓

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