INTERVIEW

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プロフィール:大学卒業後企業勤務を経て、インドネシアで日本語教育に従事、横浜市の女性センター勤務の後、夫のインド赴任に帯同。帰国後、複数の国際協力NGOに勤務。このうちシャプラニール=市民による海外協力の会でバングラデシュ駐在。東日本大震災後福島での活動を経て、現在はNPO法人国際子ども権利センター事務局長。

「面白い」を大切に〜国際協力NGOの活動を通して〜

今回はご自身の駐在と、駐妻としての帯同の二つの海外生活経験をお持ちで、NGOでの活動や団体の立ち上げに尽力された藤岡さんにお話を伺いました。

自身の仕事としての駐在

ー帯同前のキャリアについて教えてください。

大学卒業後、一般企業に就職しましたが、学生時代からの国際的な仕事がしたいという思いがあったため国際交流基金の仕事に応募しました。憧れていた職業に3年間の企業生活を経て、やっと辿り着けました。国際交流基金では日本語センター運営専門員としてインドネシアのジャカルタに2年間駐在しました。

ージャカルタではどのようなお仕事をされていたのですか。

日本語の教材や読み物を集めたライブラリの管理、日本語教師研修の実施を行いました。インドネシアでは高校の第二外国語で、近隣の国の言語を学ぼうという方針があり、当時から日本語学習者数は多かったのです。しかし、当時のインドネシアの日本語教師の方々は、実はあまり日本語を勉強したことがない人も多かったため、日本語教育のレベルアップを図るために研修などを行いました。また、国際交流基金内で文化交流の仕事の手伝いを通して、映画監督や俳優、美術の専門家など、現地の文化人の方々とお会いできる機会があり、とても貴重な経験でした。

ー帰国後はどのようなキャリアを進まれたのでしょうか。

契約期間が終了し帰国しましたが、やはり自分には営利目的のビジネスより非営利の仕事が向いていると思ったので、横浜市の女性センターの職員になりました。海外の資料を集めたり、ジェンダーに関する映画の日本語版を作成したりして、国連の世界女性会議のNGOフォーラムに横浜市民を派遣する機会に同行したこともありジェンダーへの知識や理解が深まりました。

駐妻としての帯同

ーその後、インドへの帯同が決まったのですね。

夫のニューデリー事務所への勤務が決まり、インドでの生活を楽しみにしていたのですが、自分の仕事での駐在とは大きく異なるため、最初は、「私は何をすればいいのだろう」と漠然とした戸惑いを感じていました。それでも何かやらなくてはという思いから、新聞社でのアルバイトや現地の語学学校と大学での日本語教師を経験しました。また、インドの本の翻訳にも取り組みました。

横浜市の女性センターに勤めていた時に知った作家、ウルワシ―・ブタ―リアの著書 “The Other Side of Silence:Voices of the Partiction of India”というインド・パキスタンの分離独立に関する本を翻訳し、邦題「沈黙の向こう側〜インド・パキスタン分離独立と引き裂かれた人々の声〜」として出版することができ、嬉しかったです。

帰国直前にインド西部地震が発生したため、手工芸品が盛んなカッチ地方の被災支援として手工芸品を購入し、日本でバザーを通して収益を現地に送ることもしました。

NGO活動への尽力

ー帰国後は複数のNGOで活動されたのですね。

最初に勤めた国際子ども権利センターでは活動を通して、子どもの権利に関する新しい知識を多く学びました。その後は国際協力NGOセンター(JANIC)にてNGOスタッフ向けの研修を担当し、日々やりがいを感じていました。しかし仕事を通してやはり海外の現場で働きたいという思いが芽生えたころにちょうどシャプラニールというNGOでダッカ事務所長の求人がありました。ご縁がありそのポストで働くことになったため、単身赴任でバングラデシュに4年半駐在しました。

バングラデシュ駐在員時代、現地パートナー団体のスタッフたちと

バングラデシュでは家事使用人として働いている少女の支援プロジェクトを立ち上げたり、大きなサイクロンが発生したときに被災地で緊急救援を行ったりしていました。帰国後はシャプラニールの東京事務所でしばらく働いたあと、何か違うことに挑戦したいと思って退職し大学院に行こうと考えていたのですが、ちょうど東日本大震災が発生し支援活動をしなくてはという思いから、JANICの震災タスクフォースのメンバーになりました。始めは短期のつもりでしたが、徐々に期間が伸びて、JANICが福島に事務所を作るときに、福島に駐在することになりました。震災2年後に活動終了しましたが私はまだ福島でやらなければいけないことが多くあると思い、再婚した現在の夫とNPO法人ふくしま地球市民発伝所を立ち上げました。10年間活動した中で、福島の被災者の方とタイやインドに行って、原発が作られる予定地に住む人や原発に反対する人、ジャーナリストになる学部で勉強している人などに、被災経験を話してもらうツアーを開催したり、海外から訪れた人に福島の被災地を案内するツアーを開催したことが印象的でした。

ー現在のキャリアについて教えてください。

東京に戻り、再度国際子ども権利センターに勤務しています。国際子ども権利センターは、それほど規模の大きな団体ではなく、スタッフの人数も少ないため、全てを自分でやらなければいけません。この仕事を20年前は非常に大変に感じていましたが、今回は今までの全ての経験を生かしてうまくできたらいいなと思っています。

ーこれから駐妻になる方へメッセージをお願いします。

やはり多くのご縁があるので、たとえ自分の思った通りにならなくても、面白いと思えることがあれば、それを深掘りすることが良いと思います。私も初めからNGOで仕事しようと思っていたわけではありませんが、さまざまなご縁のおかげで現在のキャリアまでつながっているような気がします。そういったご縁と良いきっかけを大切に、駐妻生活を楽しんでほしいです。

学生ライター感想: 

藤岡さんのさまざまなキャリアでの経験談が大変興味深く、勉強になりました。また、翻訳や団体の立ち上げなど積極的に挑戦されている行動力が素敵で印象的でした。

取材・執筆 鎌田睦美

 津田塾大学 3年 

校正:中山斉奈(駐妻キャリアnet)

文責:駐妻キャリアnet

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