INTERVIEW

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プロフィール:1988年生まれ。大学卒業後商業銀行にて法人営業を経験し結婚を機に損害保険会社に転職。法人営業を担当した後、夫の海外転勤に帯同し2017年よりニューヨークに移住。渡米後半年間の語学学校を経て金融機関に正社員として現地就職。2021年現在は退職し、1男1女の子育て中。

二人の子育てをしながら「自分のやりたいことを探して」

今回は駐在帯同中(期間は4年半弱)で現在アメリカのニューヨークにて生活をされている吉田千明さんにアメリカ滞在前後のキャリアプランについてお話を伺いました。

銀行と損害保険会社での仕事と結婚

―海外転勤に帯同する前のキャリアやライフプランについて教えていただけますか?

大学卒業後は銀行に勤めていましたが、結婚を機に損害保険会社へ転職しました。銀行員時代は法人営業としてとして融資や運用のプランの提案を行っていました。損害保険会社へ転職した理由は、引き続き法人営業を続けられる点と、夫の転勤に合わせて働く場所を自分で調節できる点に魅力を感じたからです。自分の思い描いていたライフプランでは当時はまだ結婚する予定ではなかったので、転職は少し想定外でした。

しばらくして夫の海外転勤の希望が通り、アメリカへ帯同することが決まりました。学生時代は外国語学部に所属し留学を経験するなど、現地の言葉を使ってコミュニケーションをとることを得意としていました。元から海外転勤に憧れがあったので、帯同が決まった時は嬉しかったのを覚えています。しかし、勤めていた損害保険会社の転勤は国内に限定していたため、退職してから渡米しました。

NYの語学学校と就職 憧れの海外転勤

―次に、海外滞在中にキャリアを意識して取り組んでいたことについて教えていただけますか?

渡米後すぐに現地で就労したいと思っていましたが、駐在帯同のビザでは就労できなかったため、労働局の認可が下りるまでコロンビア大学の語学学校に通いました。語学学校に通うことにした理由は、就労時までにさらなるスキルアップをしたいと思ったからです。その学校ではコロンビア大学に通う大学生が講師を勤めることもあり、無料で授業を受けることができました。学校はニューヨークに移住してきた方を対象としていることもあり、メキシコや南米、中東、ヨーロッパなど様々な国、年代や宗教の異なる人々が通っていました。中でもアジア人は少なく、日本人はいませんでした。しかし私はこの環境が自分の英語力をより高めることにつなつながったと思います。語学学校には1日あたり3時間、週5日、3カ月ど通いました。

―アメリカでご就職後、驚いたことはありますか?

語学学校の就活エージェントのサポートもあり、ニューヨークの日系金融機関に就職が決まりました。働いて初めに受けたカルチャーショックは、アメリカ流の個人主義で自由な働き方です。日本と違って、各々勤務時間や雇用形態がが異なり、皆が一同に会する機会はほとんどありませんでした。会議においては、挙手して発言するような文化はなく皆思ったことを自由に発言していました。

―現在、3歳の息子さんと1歳の娘さんがいらっしゃいますが、子育ての苦労はありますか?

息子の妊娠が判明したタイミングがニューヨークの金融機関に就職が決まった時だったので、とても大変でした。アメリカに頼れる知人もなく、とても心細かったことを覚えています。また、ニューヨークは物価が高いので、子供が2人になってスクールなど教育費も多くかかる点にも苦労しています。

自分の強みを武器に

―最後に、今後のキャリアやライフプランについて教えていただけますか?

現在は子育てを理由に金融機関を退職しており、新たに副業を始めたいと思っています。なぜなら、今後も転勤族の主人に帯同して働く場所が転々とする可能性が高いからです。日本やまた更に他国に帯同する場合も考え、場所に囚われず、どの国でも仕事をできる状態を実現したいと思っています。とはいえまだ具体的にやりたい仕事は決まっていません。現在所属している駐妻キャリアnetで出会う様々な駐妻の方のキャリアに刺激を受け、それをヒントに自分らしい働き方を模索して行きたいと思います。

学生ライター感想:

常に自分のやりたいことを考え、実践している姿に感銘を受けました。海外で子育てを行うことはとても大変だと思いますが、その苦労が吉田さんの強さになっていると思いました。私も駐妻キャリアnetを通してさまざまな方のキャリアプランを発信できるよう、頑張ります。

取材・文:橋口琴音

 津田塾大学学芸学部国際関係学科/学士3年

校正:三浦梓

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