駐在中に出会ったミャンマーの伝統文化をビジネスで支える! 社会起業家・Hladee代表 山本 久美子さん
駐妻のキャリアについて、気になる人にインタビュー。
第8回目は、2度目の駐在先、ミャンマーで出会った伝統技術、タティングレースを事業化された Hladee代表の山本久美子さんにお話をお伺いしました!
ー こんにちは。まずは簡単に自己紹介をお願いできますか?
こんにちは。私は銀行からハウスメーカーへ転職し、インテリアコーディネーターとして勤務後、夫の転勤で2度海外駐在に帯同しました。
夫からの電話で、来月海外引越し、という日が突然やってきたのが1回目の海外赴任。逆に2回目は海外赴任が決まってからビザが降りるまで1年待ったり、、、そのたびに自分の仕事を辞め、子どもたちの転校で悩みながら20年あまり過ごしてきました。
ー 本当に、その日(辞令)って突然ですよね。2度帯同されたということなのですが、どちらの国にいらしたんですか?
2004年から4年半、マレーシアのクアラルンプール、2014年から2年間、ミャンマーのヤンゴンに駐在しました。
子どもたちが2歳と4歳の時にマレーシアへ赴任し、当初はローカルの幼稚園に入園、滞在中にインターナショナルスクールへと進学しました。その際、英語力不足を感じていたのですが、学校の先生とコミュニケーションを取りたいと思い、クラスのボランティアとICT授業(Information and Communication Technology – PC操作などを習うクラス)のアシスタントをしていました。
ー ICT授業のアシスタントをされていたんですね!それは駐在前のお仕事と何か関係あったのでしょうか?
出産前、ハウスメーカーで働いていた時にPCを学び、使っていました。Year1クラスでのアシスタントでしたので、子ども達がPCに親しむという感じで、楽しく活動していました。
ー マレーシアからの帰国後、就職されたとお聞きしましたが、再就職の際に心がけた点、過去のご経験が役に立ったことなどあれば教えていただけますか。
小学校のPTA役員でWordやExcelを使っていたことは役立ちました。
就職面接の時に、過去ではなくて最近でもPCを使っているということがポイントになると言われました。
また、帰国後は下の娘がまだ小学校1年生でしたので、「ただいま!」と帰ってきた時に「おかえり!」と言う時間を持ちたくて、時短での仕事を探しました。
再就職先の旅行会社では時短勤務でしたが、とても刺激があり、少しでも社会に出ることは、様々なやる気に繋がったと思います。
下の娘が小学校5年生になると時間ができてきたので、大学の事務員に転職しました。子育てに理解があり、とても働きやすく、やりがいのある職場でした。ですので、夫に2回目の海外駐在の辞令が出た際は、戸惑いました。
しかし、子どもたちには「海外で学びたい」と言う希望があり、自分の仕事よりも子どもの将来の方が大切だと考えて、帯同を決意しました。
ー なるほど。私はまだ子どもが小さいのですが、これから先、子どもの意見を尊重する気持ち、参考にしたいです。そうして赴任されたミャンマーでは伝統技術を事業化されたとお聞きしました。現地の文化を素晴らしいとは思いながらも、事業としてまではなかなか考えられないと思うのですが、出会いから事業化に至るまでの経緯などをお聞かせいただけますか?
ミャンマーに赴任した当初は想像以上に何もない国で、外を眺めてはやる気がなくなる一方でした。
しかし、信号がついたり、橋ができたり、輸入品が増えたり、ネット関連企業が参入してきたりして、最後のフロンティアと言われるミャンマーに進出しようと、多くの企業や個人投資家が出入りしている勢い、国際機関がインフラ、農業、医療、教育と多くの支援をしている様子と実際に目の前で大きく変化していく姿を見て、ネガティブに思えていた光景が一転しました。
来たくて来た場所ではないけれど、来たからには何か意味がある。日本で恵まれた教育を受けてきた者として、主婦の私でも何かできることがあるのではないだろうかと考えるようになりました。
そんな時、ミャンマーの家庭でお祈り用のショールとして日常的に編まれているタティングレースに出会いました。 ミャンマーの女性達が母から娘へ編み方を教えて、何か月もかけて編み上げる繊細で素敵な技術です。
しかし、伝統文化を継承して作っているタティングレースがあまりお金にならず、彼女達の生活が苦しい現状、そして文化の継承者が減り伝統文化が廃れつつある状況を目の前にして、
「ミャンマーにこんなに素敵なものがあることを皆に知らせたい!これをピアスにしたらもっと素敵になり、その価値にふさわしい価格で販売することが可能になれば、
彼女達の生活の一助になるのではないか」と思いつきました。
そこからは、毎日職人になってくれる人をヤンゴン中探しまわり、材料を探し、通い詰めてデザインの考案をする日々が始まりました。
そして商品化できたとき、「作り手の生活の向上と伝統技術の継承支援」という同じような思いで活動をしている雑貨店dacco.myanmarに出会いました。その後、dacco.myanmarの独立店舗立上げに関わり、そこで、Hladee(ミャンマー語で素敵)という名前を付けてタティングピアスの販売を始め、今ではお土産として人気商品となっています。
ー 職人や材料をご自身で探されるところから独立店舗の立ち上げまで経験されたなんて、素晴らしい行動力ですね!!
ご帰国後の現在はどのようなお仕事をされているのでしょうか?
本帰国後もミャンマーの雑貨店dacco.myanmarと協働しながら、Hladee(ラーデー)の運営・販売を行っています。
そして最近、新しいことを始めました。
私は今まで、「今、置かれた立場で自分にできることがあるならば」という気持ちでやってきました。その経験を少しでも役立てたいと思い、「新しく何かを始めたい女性」をサポートするLead to という団体を友人と一緒に立ち上げました。
Lead toでは、アドバイザーとして、集客やブランディングのお手伝いを行っています。
ー 今後の目標などあれば教えていただけますか?
ミャンマーでも日本でも、家庭を守り家族の為に頑張っている女性達の中には、生活の中で培ってきた技術やアイデアが溢れている方々がたくさんいます。私の目標というより、そんな女性達がもっと活躍できるような社会になるといいなと思います。
ー 現在の駐妻やプレ駐妻に向けたメッセージをお願いします!
駐妻は生活全般のことから子どもの学校、帰国後のことなど、いろいろな情報を求めて駆け回って大変ですよね。ご自身のキャリアを置いて、夫の駐在についていく不安に悩んでいる方も多いと思いますし、そんな方々をたくさん知っています。
けれど、そういった女性が海外経験を経て、ますます成長し、新たなキャリアへとステップアップされていく姿もたくさん見てきました。
時代も変わり、リモートワークで働けるようにもなりましたし、状況が良くなっていることを実感します。ぜひ赴任地を存分に楽しんで、苦しんで、視野を広げて、帰国後、新しい自分に出会えることを楽しみにしていてください!
駐在の経験は、大変なことが楽しいことと同じくらいありますが、本当に学びの多い時間でした。
駐妻は本帰国すると一生の友達になります。苦労を共にして世界を見てきた者同士だからこそ分かり合えることも多いと思います。私も応援しています!
<インタビューを終えてみて>
自分の置かれた立場で、できることを精一杯行う、その考えに基づいた山本さんの行動力がうかがえるお話で感心するばかりでした。
ボランティアや再就職など、家族を大切にしながらも、その時の状況に応じて築かれた多様なキャリア。
そして赴任先で出会った、消えつつある文化を継承させよう、作り手の生活を向上させよう、と奮起されたその熱い想いと実行力に感動し、私も「新たな一歩を踏み出そう」と思いました!(担当:秋元かおる)
山本 久美子
Made in ミャンマーのタティングレース販売を行うHladee代表。
2度の駐妻経験があり、国内・海外での転勤を重ねながらもインテリアコーディネーター業・金融業・旅行業・教育関連・IT企業等、様々な職種経験を持つ。高校生2人の母。