INTERVIEW

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プロフィール:大学卒業後、日系大手損害保険会社にて法人営業、海外営業に従事。2017年、夫の駐在を機に退職し、アメリカ・ニューヨークに帯同。現地就労で主に米国法人の経営企画業務を経験。また、日本文化ボランティア団体で団体運営・コロナ禍での新規企画立案に携わる。帯同期間中に2度の出産を経験し、3歳0歳2児の母。

帯同によって広がった可能性

新卒入社した日系大手損害保険会社に9年勤務後2017年アメリカ・ニューヨークに帯同。現地就労で3社を経験し、ビザの関係で退職。以降、子育てに奮闘し、現在(インタビュー時)は本帰国直前です。

海外勤務はぼんやりとした憧れだった

ーはじめに、帯同前のキャリアについて教えてください。

日系大手損害保険会社で9年ほど勤務していました。人の生活基盤を支える仕事という観点を軸に、金融・不動産なども含むインフラ関係の仕事を選びました。またその中でも長くキャリアを築きたいと考えていたので、それが実現しやすいと思える企業を選びました。

ー9年間、どのようなお仕事をしてきたのですか?

法人営業の仕事をしていました。長い期間でしたがステップアップがあったので、楽しく働くことができました。最初の3年は、営業アシスタントの仕事で営業のイロハを学び、4年目から担当のお客さんを持たせていただくようになりました。6年目以降は、海外のお客さんも担当するようになりました。実はそのとき上司から海外勤務のお話を頂いたこともあり、ぼんやり海外で働いてみたいな、という思いを持つようになりました。

憧れの現地就労も、初めからはうまくいかず

ーその後帯同された経緯を詳しく教えてください。

私が海外駐在の機会があればチャレンジすることについては、夫とも話し合い、応援してくれていました。しかし先に夫に駐在の辞令がでて、非常に悩みましたが帯同を決めました。別居をしてキャリアを継続したい思いももちろんありましたが、新しい経験や家族と過ごす時間といった得られるものの方が多いと思ったことが一番の理由です。また、帯同先のニューヨークの情報を調べて現地就労ができる可能性が見えてきたことも大きかったです。海外で働いてみたいという思いが、別の形で実現できるかもしれないと思いました。実際に行ってみるまで不安はありましたが、たくさんリサーチして不安を減らしました。

ー帯同後、現地でどのように就職されましたか?

まずは、日本政府系の外郭団体でリサーチの仕事をしました。当時はビザのステータスも、アメリカでの職務経験もアメリカ就活市場では不利だったので、まずはアメリカで立派に働いた経験を作ることに必死でした。

しばらくして現地大手会計事務所に転職しました。日本で営業をしていた時から、企業の経営に接する機会があり面白さを感じていて、今後のキャリアに繋げたいと思っていたので、それに向けて基礎知識を習得できそうできそうな会計関連の仕事を選びました。現地企業で働ける機会は貴重で、アメリカ式のコミュニケーション、システムや、さまざまなバックグラウンドを持つ人と働く中でのカルチャーショックと学びは大きかったです。その後、日本で働いていた企業のアメリカ法人に求めていた経営企画のポジションが空いたことを知って再び転職しました。

ーアメリカでの就労経験で学んだこと、身についたことはありますか?

英語での苦労もありましたが、語学以外の部分での学びが多かったです。まずは相手に合わせたコミュニケーション。経営企画のチームにいたので、さまざまな部署の人とお話をする必要がありました。部署ごとにメンバー(人種・ポジション・雇用形態など)もさまざまで、異なるカラーを持っていたので、相手をうまく動かすポイントは何かを考えながらコミュニケーションしました。それから、プレゼンテーションです。アメリカの人は自分をうまく表現する力がものすごくあるので、見習わなければと思っています。またある意味でのずぶとさというか、主張の大切さも学びました。日本にいたときは、察してくれることを期待したり、なんとなく意見を言うことに躊躇することもありましたが、アメリカでは、各自の役割や責任範囲の意識がはっきりしているので、逆に相手に求めることや意見はきちんと伝える必要があります。少し話はそれますが、日常生活にも同じような経験はあり、例えば間違って高額の請求書が届いても、やんわりと伝えただけでは、担当者から金額は知らない、請求書を発行すること自体が私の役割だと言われたりしするんですよね(笑)

ー海外で2人のお子さんも出産されたのですよね?

はい。1人目は3社目の就労中に出産しました。こちらでは産休は特になし、育休も短いので里帰りしませんでした。アメリカでは出産しても皆短期間で復帰するので、保育施設やシッターさん等、高額ではありますが体制は充実してしています。

また子どもや家庭の事情を持つメンバーにも寛容な文化があり、子どもが体調を崩したらリモートワークに切り替えてさせてもらうといったことも理解してもらえたのでありがたかったです。その後1年半ほど働きましたが、ビザ関係で辞めざるを得ず、泣く泣く退職しました。しかし、ちょうどコロナ禍のロックダウンで子どもが家にいるようになり、働いていられない状況になったこともあり、その後は自分の割ける時間の中でボランティア団体の企画・運営スタッフとして活動したり、興味のあったヨガの資格を取得したりしました。2人目もこちらで出産し、現在は子育てに奮闘しています。

可能性を広げてくれた経験を未来の世代に

ー今後のキャリアについて教えてください。

アメリカ生活でのさまざまな経験全てを生かしたいです。具体的には、経営企画の仕事が非常に面白くやりがいもあったので、日本でも関わりたいと思っています。それとは別の軸として、まだ漠然としていますが人の可能性や子どもなど次世代への可能性を広げることに関わることができたらいいなと思っています。自分自身、帯同によってキャリアを変えざるを得ませんでしたが、それによって広がった可能性もすごくあるなと思っています。また、子どもの成長をみたりアメリカの親御さんと話したりしていて、みんな何かしらのさまざまな可能性を秘めているし、それをうまく開花できれば人生がとても豊かになると感じるようになりました。その可能性を広げるお手伝いをしていきたいです。

学生ライター感想:

帯同や帯同後の現地就労において感じた不安や辛さを、自らの行動によって前向きな気持ちに変えていくプロセスに勇気をいただきました。

取材・執筆:渡辺璃香

 慶應義塾大学大学院 修士2年

校正:中山斉奈

文責:三浦梓

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