【会員によるリレーエッセイ / Vol.2】石毛佳織さん 〜バンコク駐在は私のサバティカル! 後編
「Our Voices ~ 会員によるリレーエッセイ」
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石毛佳織と申します。2008年までタイ・バンコクに3年半駐在し、本帰国後に再就職、途中2回の転職と8か月の産休・育休を経て、現在はアメリカ企業の日本法人にてマーケティングの仕事をしています。後編では帰国後の就職活動についてお伝えしたいと思います。前編はこちら!
本帰国後に待っていた厳しい現実と、「縁」で引き寄せた転職
マーケティング修士を得て意気揚々と帰国し、再就職活動に臨んだ私には厳しい現実が待っていました。
(1)マーケティングを学んだものの、マーケティングの実務経験がない
(2)民間企業での経験がない ない
(3)4年のキャリアブランクがある
(4)近々子供を持つかもしれない30代既婚女性
という採用側には好ましくない条件が重なり、「タイの大学院でマーケティングを勉強したの、それで?」という反応で思いのほか苦戦しました。
それでも就職活動を始めて1か月が経とうとした頃に、私の経歴に関心を持ってくださった 採用担当者がいて、面接を経て東証一部上場企業に入社し、中国や東南アジアの財閥との事業開発の業務に携われることになりました。
入社して数週間後に起きたリーマンショックでそれ以後中途採用が凍結されたため、再就職活動のスタートが1か月遅れていたら入社できなかった可能性もあったかと思うと、帰国してすぐに再就職活動をスタートして良かったと思います。
それから約1年後のある日、転職エージェントから外資系企業の採用を数件紹介されました。リーマンショックによる業績悪化で事業が縮小されたため担当業務が変わり、転職を検討していた時期だったので、このお話は「渡りに船」でした。。
日本での営業活動を始めたばかりの米国企業の日本法人に入社し、途中ロールチェンジを経て念願だったマーケティング業務に就くことができました。
さて、その後の私はというと、その外資系企業にいた約5年の間に出産し、子供が0歳児で保育園に入れたタイミングで職場復帰をしたものの、1年後に退職しました。
復帰後、出産前までのような働き方ができなくなり、加えて子供が保育園で体調を崩すことが頻繁にあり、育児が落ち着くまでは仕事より子供を優先したいと考え、働き方を変えることにしたのです。
その結果、フルタイムの正社員でなく、勤務時間が限定的な嘱託職員として政府機関で働くことになりました。
その後、子供が成長して手がかからなくなり、キャリアパスを再考し始めていた頃、アメリカ企業の日本法人よりマーケティングポジションのお誘いを受け、転職して今に至っています。
写真:シンガポールの同僚と本社のあるシアトルにて研修
限りある駐在期間中は自らを見直す「サバティカル」
もしもバンコク行きが決まった際に帯同休職制度があったなら、と思うことは何度もありました。休職業制度を利用して帯同し、帰国後の再就職の心配をすることなく海外生活を送れたらどんなに楽しかっただろうと。
しかし、自ら作ったキャリアブランクは意思さえあれば自らカバーすることができます。限られた駐在期間中をどのように過ごすのかで帰国後のキャリアもぐんと変わってくるのではないでしょうか。
私にとっては大学院で学び、今後のタイのビジネスを支える同級生や先輩たちとのネットワークを築けたことは人生におけるターニングポイントとなりました。
外資系企業には、数年勤続すると付与される「サバティカル(Sabbatical)」 と呼ばれる長期休暇制度があるところもあります。今から思うと、駐在期間は私のキャリアにおいて重要な「サバティカル」になりました。
写真:大学院の課外活動であるSocial Responsibility Tripでタイとミャンマー国境のAngkhang村を訪問した際に少数民族の子供たちと。
駐在の条件により駐在先での就労が可能な方はキャリアアップをされるのも良いことだと思います。帯同休職制度がある会社にお勤めの方は、せっかくの制度を利用してご家族で海外生活を楽しんでほしいとも思います。
日本で忙しくワーキングマザーをされていた方は、駐在先で期間限定の専業ママを楽しめるかもしれません。
駐在中のご縁 は帰国後も何かとつながっているので、そのご縁を大切にしながら、帰国後にありたい自分の姿を思い描き、皆様が限られた駐在期間を有意義に過ごされることを心より願っています。